前回の記事ではソロキャンプの楽しみ方をいくつか書きました。
まだご覧になっていない方は本記事はその【番外編】という構成になっておりますので、そちらを先に読んで頂ければと思います。
前回は一人でも十分にキャンプを楽しめるんだ!一人でもいいんだ!という事を主題として書いてみましたが、今回はあくまで番外編です。
短い記事ですが、興味のある方だけ続きをそうぞ。
尾崎放哉とソロキャンプ
咳をしてもひとり
自由律俳人 尾崎放哉
もはやソロキャンプ中に詠んだのではないか?とさえ思える、自由律俳人である尾崎放哉の代表作のひとつ。
彼は東大法学部卒業後、保険会社に入社しエリートコースを歩むも酒での失敗を繰り返し、その人生を棒に振った人物。晩年は小豆島の庵で独り8ヶ月、ひたすら自然に帰すことを願いながら句を詠み続け果てた孤独の人。
自由律俳句とは五七五の概念にとらわれず、その名のとおり自由なリズムで感情を表現する俳句。
冒頭の句はかなりソリッドですよね。
まるでモーラナイフで削り落として先端が鋭利に尖った一片の木枝のよう。
細く儚くも鋭いその枝の先端で、まるで心の奥底まで真っ直ぐに突き刺さしてくるように、たった9文字で「独り病床に伏して死を待つ孤独感や悲壮感」という彼の寂寞の晩年の様子を表現しきっています。
同じくエリートでありながら己の身のほどもわきまえず、更なる名声を得ようとするも夢破れ、果ては獣となって野で孤独に暮らした「山月記の李徴」とどことなくかぶるところがある気も。
いずれも最期は深い孤独の中で、目を背け続けた本当の自分と向き合っています。
さぁ、ソロキャンプでごっこ遊びです。なりきってみましょう。
誰にって?
やだなぁ〜尾崎放哉にですよ〜。
別に死ななくていいですよ!ただ、ちょっと惨めな気持ちを演出してみましょう。
たとえば、
「先週はちょっとしたことで部下を叱ってしまって悪かったなぁ。あんなに怒らなくてもよかったのになぁ。あいつ気にしてるだろうな。あぁ自分はなんて独善的で愚かで矮小な人間なんだろう。こんな事一人で考えてる俺ってバカだな、暗いな。」
などとやさぐれてみる程度でいいんです。
ソロキャンプの醍醐味はストレスフルな日常から解放されて自分をリフレッシュすることだ!などといろんなところで書かれてます。
でも結局それは主観であって、自分だって無意識に他人にストレスを与えている1人なんですよね。だからリフレッシュなんて都合のいいことは言わないで、徹底的に自分を卑下して責めてみましょう。
そして感じてください。街の喧騒を離れ、ストレスから解放されて優雅なひとときを過ごしてみても、また人に会いたくなること。完ソロをするつもりで出掛けても、サイトに先客が数人居るとなんとなく落ち着くこと。
雑音が多い場所からは離れたいけど、完全な孤独はいやだという我儘。自分のテリトリーではない野生の暗がりの中に独り身を置くことの恐ろしさ。
自分には帰るべき場所、ホームがあること。
ソロキャンプは個としての自分の弱さ、というか人間どれだけ偉そうにしてても一人じゃ生きていけないということをまざまざと思い知らせ、煩わしいとさえ思っていた人間関係が実は愉快で、愛おしいものであることを再認識するいいきっかけになります。
僕には帰る家がある。
ソロキャンプで俯瞰で自分を見たあとは、待っている人が居る家に帰ろう。
最後に僕のお気に入りの自由律俳句をもうひとつ。
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“こんなよい月をひとりで見て寝る”
ー 尾崎放哉
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良い夢を、おやすみ。
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